斎藤茂吉と菓子

2023.05.24


参考 とらやの最中

はじめての最中に感動

斎藤茂吉(さいとうもきち・18821953)は、日本を代表する近代短歌の歌人です。20代の頃から「アララギ」の中心歌人となり、歌集『赤光(しゃっこう)』や『あらたま』などが高い評価を受ける一方で、本業では精神科医をつとめました。
山形県の農家に生まれましたが、開業医を営む親戚のもとで医学を学ぶため、14歳の時に上京しています。当時の回想によれば、上京途中に泊まった仙台の旅館ではじめて最中を食べたといい、寄宿先の浅草の医院に着いてからも「最中といふ菓子も毎日のやうに食ふことが出来る」と満足そうに書いています。さらに、はじめて玉子とじという蕎麦を食べた感想でも「仙台の旅舎で最中といふ菓子を食べて感動したごとく」と引き合いに出しているので、最中から受けた衝撃は相当だったようです。

「殿中」の謎

さて、最中以外にも、菓子をめぐるエピソードがあります。同じアララギ派の兄弟子といえる長塚節(ながつかたかし)没後、故人の全集の編集にあたったときのこと。書簡の校正作業を進めるなか、「家でい(炒)らせて置いた金米糖が棚の上にあるから序(ついで)の折に三四合ばかり送れ」とあり、「金平糖」を炒るがどうにも腑に落ちません。調べたところ、なんと「米糠」(こめぬか)の誤植※1と発覚。転載元の時点で「金」の字が紛れ込んだのが原因で、難渋した旨を漏らしています。
また、「殿中一折ありがたく」の「殿中」が何かわからず、岡麓(おかふもと・アララギ派の歌人)に教えを仰いだことも。返事は、「よしはら殿中は、水戸でのお菓子、五家宝※2ごぞんじかえ、よく似てゐると」というもので、つまり、菓子の「吉原殿中」を一箱もらい、そのお礼に出した書簡だったのです。茂吉は、「かういふ面白いこともある。全集発行は実に難儀な大事業であるが、たまたま斯(かか)る清涼剤を得て息づくのである」と回想しています。
「吉原殿中」は現在も水戸銘菓として知られる、あられを糖蜜で固めて棒状にし、きな粉をまぶした菓子です。水戸藩九代藩主・徳川斉昭(180060)が、菓子を考案した奥女中・吉原の名をとって名前をつけたともいわれます。茨城県出身の長塚節にとっては身近だったのでしょう。茂吉はといえば、食べ物の歌や絵を多く残し、食にこだわりを持っていましたが、さすがに「殿中」が菓子とは思いもよらなかった様子。特徴ある名前を愉快に思ったのか、こちらは「面白いこと」として印象に残ったようです。
「金米糖」に悩み、「吉原殿中」で息抜きし、と菓子に振り回される茂吉の様子が浮かび、なんだかクスッとしてしまいます。

1 米糠は、保存や料理のため、炒って水分を飛ばして使われることがある。
2 埼玉銘菓。

※連載「歴史上の人物と和菓子」を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社、2017年)が刊行されております。そちらも是非ご一読くださいませ。

 

参考文献

『斎藤茂吉全集』第9巻 岩波書店 1953
『斎藤茂吉全集』第42巻 岩波書店 1955年 

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