古市兄弟と瓜

2026.08.26
瓜図

「瓜図」山田道安 16世紀 メトロポリタン美術館所蔵

瓜の画は茶席にも使われ、本能寺の変で焼失した趙昌(ちょうしょう)の「菓子之絵」には、菓子として枇杷・桃・蓮・楊梅(山桃)とともに瓜が描かれていた(『山上宗二記』より)。

古市兄弟と茶の湯

15世紀後半の奈良で活躍した古市胤栄(ふるいちいんえい・1439〜1505)と澄胤(ちょういん・1452〜1508)は、興福寺大乗院(だいじょういん)に仕えた武士でありながら、風流踊りや連歌、茶の湯といった町衆文化を支えた文化人でもありました。奈良市南東部の古市を本拠とし、大乗院門跡のもとで寺領の防衛や市中の統制を兄弟で協力して担い、都市文化の中心的な存在として活動していました。とくに茶人・村田珠光(むらたしゅこう)との交流はよく知られており、珠光が澄胤に宛てた「心の文」(一紙とも)には、珠光が説く「和漢のさかいをまぎらかす」という理念が記され、古市家の育んだ文化圏に深く浸透していたことがうかがえます。澄胤は『山上宗二記』にも珠光の弟子として名が記されています。

林間(りんかん)の茶

兄弟の文化活動を象徴するのが、夏に行われた「林間(淋汗)の茶」です。寺院の浴堂で蒸し風呂に入り、汗を流したあとに茶と軽いもてなしがありました。大乗院の大僧正、経覚の日記『経覚私要鈔』(きょうがくしようしょう)の文明元年(1469)5月23日には、大乗院に仕える者及び、古市一族の若い者たちが風呂を焚き、宇治茶と椎茶(雑茶の意か)の二種の茶を用意され、白瓜、山桃、素麵、墨塩(焼き塩か)に器としての蓮の葉を添え、酒が振る舞われた旨が記されています。
蒸し風呂は現代のサウナに近いものですが、水風呂に入る習慣はなく、瓜や桃など水分の多い果物で身体を内側から静かに冷ましていたと考えられます。後の時代になりますが、貝原益軒の『養生訓』(1772)には「瓜は熱を去り、渇きを止む」とあります。茶にも清涼作用があり、瓜と茶を組み合わせることで心身が自然に整う静かな時間が生まれたのでしょう。
なお、このときの林間の茶は、僧侶をはじめ、家来から下働きの女性に至るまで、150人規模の会であったとのこと。会についての詳しい内容は書かれていませんが、他の史料から推測すると、季節の美味を味わいながら身体をいたわり、和物、唐物を取り入れた茶の道具組、生け花、時には風流踊りや連歌を楽しむ、奈良らしい夏の養生と歓談の場であったと考えられます。

奈良の名産、瓜

奈良は古くから瓜の名産地で、室町中期に書かれた『大乗院寺社雑事記』(だいじょういんじしゃぞうじき)には京都の御所や公家、将軍家へ献上された記録が多く見えます。夏の季節感を象徴する食材として茶の湯でも重んじられました。古市兄弟の林間の茶に登場する瓜も、こうした地域の食文化を背景として好まれたと考えられます。地元の名産をもてなしに取り入れることで、古市兄弟は奈良の風土と茶の湯を結びつけ、地域文化を体現する茶の湯空間をつくり出していたともいえます。ちなみに、現在、「(黄)マッカ」の通称で親しまれている大和野菜の一つ「黄金まくわ」は品種改良されたものですが、当時の瓜の流れを汲むものでしょう。

*連載「歴史上の人物と和菓子」を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社、2017年)が刊行されております。そちらも是非ご一読くださいませ。

参考文献

茶の湯案内シリーズ ⑩『史料による茶の湯の歴史(上)』 主婦の友社 1994年
廣田吉崇「〈資料紹介〉静嘉堂文庫所蔵『古市家由緒並茶事』‐近世武家社会における茶の湯の一事例として‐」(『静嘉堂研究紀要』第4号 静嘉堂文庫美術館 2026年)
永島福太郎「古市播磨と林間茶湯」(『日本美術工芸』321 日本美術工芸社 1965年)

 

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