高浜平兵衛と工芸菓子

工芸菓子の第一人者
工芸菓子とは、米粉と砂糖などを混ぜて作る雲平(うんぺい)や、餡を混ぜた餡平(あんぺい)の生地を着色、成形しつくるものです。四季の草花や鳥などを写実的に表現することができ、繊細な色合わせや細かな細工には高い技術力が必要とされます。はじまりは江戸時代後期頃ともいわれ、明治時代以降京都を中心に発展、題材も様々な作品が作られるようになり、ジャンルとして確立されました。
工芸菓子の第一人者として知られたのが、京都の有名菓子店だった若狭屋元茂(わかさやもとしげ)の主人、高浜平兵衛(たかはまへいべえ・1861~1940)です。明治33年(1900)のパリ万国博覧会の際に、大輪の牡丹7本をいけた花籠の工芸菓子を制作しました。
匠の技
明治36年1月、京都滞在中のシャム(現在のタイ)の皇太子(のちのラーマ6世)に、貿易商会から若狭屋の花の工芸菓子が献上されました。先の万博で外国人に好評を得ていたことから、ふさわしい贈り物と考えられたのでしょう。
興味を覚えた皇太子は製造見学を希望します。その要請をうけ、京都ホテルにて高浜夫妻が店員男女10名とともに、紅白対にした雲平の牡丹および蓮の花、有平糖の松竹梅などを実演制作しました。蓮は極楽浄土を象徴する花で、仏教国のシャムを意識した選択だったのかもしれません。

試食をした皇太子は味、見た目ともに絶賛し、すべての菓子を土産として持ち帰ったといいます。高浜夫妻は後日、皇太子から手紙とともに記念品として男性用の純金の指輪、女性用の宝石入りの指輪を贈られました。シャムの皇太子が心から感動したことが伝わる記念品を、高浜はさぞかし光栄に思ったことでしょう。
残念ながら太平洋戦争中に若狭屋元茂は閉店してしまいますが、高浜が情熱を注いだ工芸菓子の技は今も受け継がれ、現在も全国菓子大博覧会などで様々な作品を見ることができます。
※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』山川出版社・1,800円(+税)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)
参考文献
『はな橘』第10号 大日本菓子協会 1903年
赤井達郎『菓子の文化誌』河原書店 2005年
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