松平春嶽と月見饅頭

京都から贈る日記
福井藩主の松平春嶽(まつだいらしゅんがく・1828 ~90)は、幕末の名君としても知られる人物で、政事総裁職や京都守護職など幕府の要職も務めました。春嶽はたびたび公務で京都に滞在しますが、その様子を日記にまとめ、福井に暮らす夫人の勇姫(いさひめ)へ贈っていました。
月見とは?
慶応3年(1867)6月16日、春嶽は下鴨神社へ出かけ、神官の鴨脚(いちょう)丹波守(光興)、鴨脚越中守(光長)らの出迎えを受けます。神社参詣後は越中守の屋敷で宴会が開かれ、和やかなひとときを送りました。
宴も進んだ頃、春嶽は神官たちから、今夜御所で16歳になられた明治天皇が月見をするという話を聞きます。それは天皇が饅頭に穴を開けて月を見ている最中に、着物の袖が切り落とされるというものでした。越中守も娘が同じ年になるので、今夜饅頭に穴を開けているときに着物の袖を切り落とすのだといいます。話が終わると越中守の美しい娘が御所風の髪型に振袖という姿でやってきました。
ここでいう月見は、よく知られる秋の観月ではなく、公家社会を中心に行なわれた成人儀礼を意味します(「皇女和宮と月見饅」の項参照)。
袖を切るというのは、振袖の丈を詰めて成人用の袖丈にする「袖留(そでとめ)」のことを指すと思われます※。
その後春嶽は越中守の屋敷を辞しますが、この日のできごとを、紙幅をさいて丁寧に書いています。春嶽は京都の珍しい儀式に触れたことを、きっと夫人に教えたかったのでしょう。
※ 明治天皇の月見の儀の記述に「袖留の儀を行はせらる」とある(『明治天皇紀』第1 吉川弘文館 1968年)
※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・1,800円+税)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)
参考文献
慶応3年(1867)「京都日記」(『福井県史』資料編3 中・近世1 福井県、1982年)
三上一夫『幕末維新と松平春嶽』吉川弘文館 2004年
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