ヘンドリック・ドゥーフと江戸の菓子屋

2026.03.19

江戸滞在時にオランダ人が常宿とした長崎屋の様子
浅草庵ほか『画本東都遊』(1802序)より
国立国会図書館デジタルコレクション

激動の時代に就任したオランダ商館長

ヘンドリック・ドゥーフ(1777~1835)は、享和3年(1803)から14年間、オランダ東インド会社の商館長として日本との交易に携わりました。この時期、母国はフランスの治下に入り、イギリスと戦争状態となります。オランダ商館は貿易が厳しくなったうえ、イギリスに圧力をかけられ接収されそうになりますが、ドゥーフは粘り強く折衝してその危機を乗り越えます。その一方、蘭日辞書を作ろうと考え、自ら日本語を学び、日本人の通詞(通訳)とともに完成させます。『ドゥーフハルマ』と呼ばれる辞書で、のちに蘭学を学ぶ学生たちの大きな助けとなりました。

オランダ好きの菓子屋に名前を与える

商館長は、将軍に貿易の御礼の挨拶のため数年ごとに江戸を訪れていました。ドゥーフも文化3年(1806)を含め3度江戸を訪れていますが、滞在中には蘭学者や「蘭癖(らんぺき=「オランダ好み」の意)」と呼ばれた人々とも面会をしました。なかには西洋の話を聞くだけでなく、オランダ語の名前をつけてほしいと願うものがいたそうです。ドゥーフが記した『日本回想録』(1833)には、オランダ人が来るたび表敬訪問しているという菓子屋の主人が出てきます。片言のオランダ語を話し、以前別の商館長からもらった名前が古くなったので新しい名前が欲しいと頼み、ドゥーフが「フレデリック・ファン・フルペン」※1という名を与えると大変喜んだとのこと。この菓子屋は日本橋本町の伊勢屋で、ドゥーフは京都でと書いていますが、実際に会ったのは江戸で、オランダ人が常宿にしていた長崎屋でした※2。

伊勢屋はどんな菓子屋だったのでしょうか。同じく蘭癖で親交があった下総古河藩の家老鷹見泉石(たかみせんせき)の日記に、店の主人、七左衛門(兵助)が泉石に羊羹などを持参したことが散見されます。『江戸買物独案内』(1824)のようなガイドブックや菓子屋番付等ではその名を見ることはできませんが、蘭癖仲間の会を店で催すほか、西洋の書籍などを仲介販売しており、「オランダ好み」たちの間では知られた存在だったようです。
文化14年(1817)、ドゥーフは任務を終え帰国の途に着きます。本国で伊勢屋のことを話すことはあったでしょうか。日本を訪れたことがある人と会ったなら「オランダ語を話す面白い菓子屋だったね」と一緒に盛り上がったかもしれませんね。

※1 綴りはFrederik van Gulpen で、商館長ブロムホフ、あるいはシーボルト日記にもこの名が見える。シーボルトは伊勢屋を「幕府の御用菓子屋」としているが御用はつとめていない。なお「フルペン」は、現代語訳本により「ヒュルペン」「ギュルペン」と表記される。伊勢屋は鷹見泉石との書簡で「ギュルペン」あるいは「ギュル篇」と署名している。
※2 ドゥーフが伊勢屋と面会した際に描いたとされる「長崎屋二階の図」(現在は所在不明)がある。

*連載「歴史上の人物と和菓子」を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社、2017年)が刊行されております。そちらも是非ご一読くださいませ。

参考文献

ヘンドリック・ドゥーフ著、永積洋子訳『日本回想録』新異国叢書 第Ⅲ輯 雄松堂出版 2003年
日蘭学会編『長崎オランダ商館日記』7 雄松堂出版 1996年
シーボルト著、斎藤信訳『日本』第3巻 雄松堂書店 1978年
古河歴史博物館編『鷹見泉石日記』全8巻 吉川弘文館 2001~2004年
片桐一男『蘭学家老 鷹見泉石の来翰を読む -蘭学編-』岩波ブックセンター 2013年
森田健司『異国人たちの江戸時代』作品社 2023年

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