夢野久作とりんかけ豆

2024.10.30

 
豆輪(まめりん・左)と紅白ふきりん(右)の絵図  「蒸餅干菓子雛形 下」(江戸時代後期以降)より

日本を代表する幻想・怪奇小説家

夢野久作(ゆめのきゅうさく・1889~1936)は、明治22年、福岡市に生まれました。実母は同年に離縁されて家を出、父・杉山茂丸(すぎやましげまる)は政治運動家で家庭を顧みない人物だったため、幼少期はほとんど祖父母に育てられたといいます。福岡県立中学修猷館(しゅうゆうかん)を卒業したのち、軍隊入隊、農園経営、新聞記者などさまざまな経験を経て、大正15年(1926)小説家としてデビュー。構想・執筆に10年をかけた『ドグラ・マグラ』は、内容の複雑さや猟奇的な描写、会話を中心とした独特な文章などによる妖しい魅力で、今なお根強い人気があります。

一方で、私生活においては、父を反面教師として家庭を大切にする、真面目で繊細な人物だったといいます。周囲からはコーヒーとカステラ好きで知られ、「汁粉、ぜんざい、ボタ餅等は、大鍋に作っても、一人で食べてしまう程」の大甘党でした。息子・龍丸の綴った『わが父・夢野久作』には、菓子が絡む下のようなエピソードが描かれています。

菓子をかけたトランプ大会

ある時、久作の家族や茂丸の関係者が集まった折、お金を出し合って菓子を買い、トランプ大会を開くことになりました。参加者は久作を含め、いずれも30~40代の大人たち。勝った人が食べられるルールでしたが、トランプに慣れていない久作は、何度やっても勝てません。
菓子がどんどん減っていき、自分だけ食べられないのが耐え難かったのでしょう。ついに、袂(たもと)から取り出した「リンカケ豆」を勝手に食べはじめます。
りんかけ豆とは砂糖の衣を掛けた豆のことで、名前は、ある材料に別の材料をかける料理用語の「輪掛け」(りんがけ)から来ていると言われます。同様の砂糖掛けの菓子は古くからあり、江戸時代には、糯米のあられに砂糖の衣を掛けた「りん」や、その派生の「小りん」(小さなりん)、「菊りん」(菊形のりん)、「ふきりん」(ふきのりんがけ)などが広く親しまれていました。
さて、久作の行動は、妹・瑞枝(みずえ)に見つかってしまいます。負けた者は食べられない約束だと指摘すると、「お、お、おれが、おれの銭で、買って来たものを、この、お、おれが食うて、何でわるい」と涙ぐんで怒ったため、一同大笑いとなりました。なんとも子どもっぽい言い訳がおかしく、読む人の頬を緩ませるエピソードです。
幻想・怪奇と評された作品群から想像する人物像とは大きく異なりますが、実は久作は、小説家デビュー前に、「お菓子の大舞踏会」「キャラメルと飴玉」という可愛らしい作品を発表しています。前者は菓子を食べ過ぎた子どものお腹の中で菓子たちが踊りまわる話、後者はキャラメルと飴玉がケンカをして他の菓子ともどもくっついてしまうという愉快な話です。トランプ大会のエピソードからうかがえる、菓子好きで愛嬌ある姿と通じるものを感じます。

 *連載「歴史上の人物と和菓子」を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社、2017年)が刊行されております。そちらも是非ご一読くださいませ。

参考文献

杉山龍丸『わが父・夢野久作』三一書房 1976年
多田茂治『夢野一族 杉山家三代の軌跡』三一書房 1997年
お菓子の大舞踏会」「キャラメルと飴玉」 青空文庫より

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