宗長と甘酒

2023.11.30

戦国の世を旅する連歌師

宗長(そうちょう・14481532)は、室町時代後期の連歌師。生まれ故郷の駿河国(静岡県)で今川氏に仕えたのち、京都で一休宗純(いっきゅうそうじゅん)に禅を学び、宗祇(そうぎ)のもとで連歌を修業して腕を磨きます。その後再び今川氏の庇護を受け、駿河を拠点に京都ほか諸国をめぐ※1公家や大名、豪族を訪ねて、彼らのもとで開かれる連歌の会に参加するとともに戦(いくさ)に揺れる各地の情勢を伝えました。宗長が懇意にしていたのは、仕えていた今川義忠(いまがわよしただ)・氏親(うじちか)親子のほか、公家の三条西実隆(さんじょうにしさねたか)、管領(かんれい)の細川高国(ほそかわたかくに)、伊勢亀山城主の関何以斎(せきかじさい)など。時には大名との外交交渉に臨むこともあったといい、その能力は連歌にとどまらなかったといえましょう。

 

年老いた身に沁みる甘酒


大永6年(1526)、79歳になった宗長は、恩師の一休が後半生を過ごした酬恩庵(しゅうおんあん・京都府京田辺市)で余生を送るべく故郷の駿河を離れます。しかし、京都に着いたものの室町幕府を巻き込んだ戦が勃発、やむなく脱出し、一休にゆかりのある、矢島(滋賀県守山市)の少林寺に身を寄せました。
宗長到着の知らせを聞きつけた知人たちは、その身を案じ手土産を携えて次々と寺に駆けつけます。連歌の会なども催されて、思いのほか賑やかだったようですが、京都で余生を送る夢が潰えたのはやはり無念だったのか、時折、老いの身を詠んだ歌や文を記しています。その一つがこちら。

老ぬればねがひ物ぞよあまざけのみながら口にすゝり入(いれ)ばや

詞書(ことばがき)には「少林寺納所(なっし※2へ」とあるので、寺に納められた甘酒を分けてもらったのでしょうか。
甘酒は今もおなじみの甘味飲料で、古く奈良時代には飲まれていたといい、その製法は、米麴と米を発酵させて作るものと、酒粕を湯で煮溶かして作るものの2種類が知られます。麴を使った甘酒はアルコールを含まず優しい甘みで、酒粕を使った甘酒は、若干のアルコールを含み芳醇な香りをもつのが特徴です。宗長が飲んでいたのはどちらのタイプか不明ですが、手記を見るとしばしば酒を楽しんでいるので、酒粕の甘酒の可能性もあるでしょう。
この歌を詠んだ時は、寒さが極まる旧暦12月のはじめ。熱々の甘酒がひとときでも宗長の心を慰めてくれていたらと願わずにはいられません。

 ※1 宗長が旅に出るときには弟子を同行させる場合もあった。谷宗牧はその1人である。
 ※2 禅宗寺院で、施物をおさめる場所。 


※連載「歴史上の人物と和菓子」を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社、2017年)が刊行されております。そちらも是非ご一読くださいませ。

 

参考文献


島津忠夫校注『宗長日記』岩波書店 1975
鶴崎裕雄『戦国を往く 連歌師宗長』角川書店 2000

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