篠田鉱造と釜鳴団子

2023.09.22

実話主義の記者作家

篠田鉱造(しのだこうぞう・18721965)は、報知新聞に記者として勤めるかたわら、幕末~明治の古老の聞書きを集めて連載を執筆し、『幕末百話』(1905)、『明治百話』(1931)、『幕末明治女百話』(1932)などにまとめました。内容は政治家の家庭の話や移り行く町の様子、食べ物に芸能関係と多岐にわたり、どれも臨場感があります。「話はナマの話に限るといふ事」という「実話主義」を掲げ、薄給の記者時代にも高額な謝礼を払って古老の話を聞き込んだそう。話者の名や日時が記されていないことも多いのですが、名もなき市井の人々の「ナマ」の声を伝えている点で、貴重な史料を残したと言えるでしょう。

 赤坂名物の釜鳴団子

数ある証言の中には、鉱造自身が青春時代を過ごした赤坂界隈の様子を語ったものもあります。松江藩に仕えた武士だった祖父が、維新後は赤坂で質屋を営んでいたため、鉱造は13歳から23歳まで「赤坂田町六丁目」(現在の溜池山王駅付近)に住んでいたのです。

明治1523年(188290)頃のことで、その当時、家の筋向いにあった「名代の団子屋」が「釜鳴屋」です。毎朝店の釜が鳴るためこの名がついたのだそうで、名物は焼き団子。店頭に縁台を置き、その横で、火鉢に長い鉄灸(鉄の棒)を渡し、うなぎのかば焼のように団扇で叩きながら焼いていたと言います。鉱造によれば、主人は「ひよろ長い人」で(元力士だったとも)、おかみさんは「瘦せこけた女」だったとか。

団子は男性の親指より大きい五つ刺しで、他に「あん(餡)だんご」「みつ(蜜)だんご」もありました。店先で食べるのが定番で、「ソノ焼立てを、頬張りながら、大きな湯呑で、お茶を飲んで休んで行く人が多いのです」と、鉱造は当時の様子を振り返っています。

「実話」の力

実際、本当に評判の店だったようで、『明治百話』の続編『明治開化奇談』(1943)にも、光野京子という鉱造と同世代の女性の聞書きに「繁昌の店」として登場します。

「お醤油へつけて、炭火へかざして焼く、アノかんばしい匂ひツたら、喰べずにはゐられない、おいしさうな匂ひでした」とは団子の思い出を反芻する一節。小気味よい語り口のせいもあるかもしれませんが、香ばしい醤油の匂いが今にも漂ってきそうです。

採録当時から150年近く経ってこれだけ臨場感があるのは「実話」ならでは。聞書きの類には史料としての正確さに疑問符が付くこともありますが、こと菓子のような食べ物の味わいに関しては、「話はナマの話に限る」という鉱造の主張に、全面的に同意したくなります。

 

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参考文献

河野桐谷編『漫談 江戸は過ぎる』 万里閣書房 1929年

山崎扇城『新聞人史』第1篇(東京) 新聞時報社 1929年

篠田鉱造『明治百話』 四条書房 1931年

篠田鉱造『明治開化奇談』 明正堂 1943年

 

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