田山花袋と羊羹

親友との出会い
田山花袋(たやまかたい・1871~1930)は現在の群馬県館林市に生まれ、明治時代後期に活躍した小説家です。中年作家の恋を描いた代表作『蒲団』(1908)は、私小説の先駆けといわれます。
明治19年(1886)に一家で上京。文学の世界にあこがれ、尾崎紅葉に師事しながら執筆活動を開始しました。明治29年、すでに文壇で名をあげつつあった同い年の国木田独歩(くにきだどっぽ・1871~1908)のもとを訪れた花袋はすっかり意気投合し、生涯にわたる親交がはじまるのでした。
隠遁生活での楽しみ
出会いの翌年、26歳の春、2人は連れ立って日光へでかけます。そして4月20日から6月2日まで照尊院(しょうそんいん)というお寺に仮住まいすることに。
花袋も独歩も「貧しい不自由な山寺の生活」を、「有り余る贅沢な生活も面白いが、何もない生活も面白い」と前向きにとらえ、「倹約に倹約して」過ごしてみることにしました。
朝昼の食事は白米と味噌汁。1銭の豆腐を買って、晩のおかず兼酒肴にするという質素な生活ですが、花袋の残した出費の記録(2人分をまとめて記載)を見てみると、なんと「羊羹」が7回もでてきます。値段は12銭前後で、1銭の豆腐で暮らす身には、ちょっとした贅沢品です。今も日光は羊羹が名物として知られていますが、到着早々、4/21、22、23、25、26と立て続けに購入しているのは、よほどおいしい店を見つけたのかもしれません。
滞在中、2人は都会の喧騒から離れ、恋や人生、小説のことなど「そのころの青年にふさわしいセンチメンタルなことばかり」を昼に夜に語り合いました。お金はなくても、時間という財産をふんだんにもっている若者の特権。その傍らには、いつも羊羹が置かれていたのでしょうか。
羊羹と思いきや……
さて、花袋と羊羹と言えば、こんなエピソードも。
独歩が経営していた出版社の2階での、ある日のこと。卓上にあった黒い長方形のものを羊羹だと思い、勢い込んで齧ったら、なんとそれはマッチ箱! 花袋のそそっかしさと、羊羹好きがうかがえる逸話ですが、その場に居合わせた作家の前田晁(まえだあきら)によると、実は、これは独歩が仕掛けたいたずらだったとのこと。花袋が離席中に空の菓子鉢にマッチ箱を入れ、近眼の花袋が見間違えるよう、わざと部屋の明かりを暗くしておいたのだそうです。当時、独歩の会社は資金難のため倒産が決まり、事後の相談のため、仲間が集まっていました。「ペッペッと口を拭つてマッチを抛(ほう)り出」すさまを見て、一同は大笑いしたとあり、花袋はわざとオーバーなリアクションをして場を和ませようとしたのかもしれません。
その後まもなく独歩は病気で亡くなりました。花袋は羊羹を見るたびに、若くして世を去った無二の親友を、そして、共に過ごした日々をなつかしく思い出したのではないでしょうか。
※このエピソードは、独歩の妻の国木田治子の小説「破産」のなかにも登場する。作中では、独歩は主人公の「岡村」、花袋は岡村の友人の「吉野文士」と名前を変えてある。
※連載「歴史上の人物と和菓子」を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社、2017年)が刊行されております。そちらも是非ご一読くださいませ。
参考文献
「日光時代」『近代文学鑑賞講座』第7巻 角川書店 1963年
「KとT」『東京の三十年』 岩波書店 1981年
小杉未醒・吉江孤雁「独歩社時代」『翻刻 趣味 拡大号 文豪国木田独歩』 信濃房 1979年
『明治大正の文学人』前田晁 砂子屋書房 1942年
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